蹴鞠界の天才 藤原成通さん

藤原成通と鞠の精

熊野御幸を9回行った白河上皇に仕えた貴族に藤原成通(ふじわらなりみち)という公卿がいました。藤原北家出身で曾祖父、祖父とも右大臣を輩出した名門家系。眉目秀麗にして、人柄も良く、笛・乗馬・和歌の達人として知られ、特に蹴鞠においては「蹴聖」と称賛されるほど尋常ならぬ技をお持ちだったとか。『古今著聞集』によりますと、蹴鞠場に立つこと七千日、内二千日は病に臥しても鞠を足にあて、大雨の時は大極殿で鞠を蹴っていました。千日目の満願の日、鞠と供物を捧げ祝宴を饗した夜、鞠を抱いた顔が人、手足体は猿で、3~4歳の子ほどになるものが3人現れ、誰かと問うと「鞠の精霊です」と答えます。

毬の精曰く、人が蹴鞠をしているときは毬に憑き、しなくなると柳の林に戻ると言い、「人々が蹴鞠を愛好する時代は国も栄え、よい人が政治をし、福がもたらされ、寿命も長く、病気もない。また、人の心はたえず思い乱れるものだが、蹴鞠の愛好者は庭に立てば毬のことだけ考えるので心が軽くなり、輪廻転生にもよい影響を及ぼす縁が生まれ、功徳も進む」と説き消えたそうです。

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